奥河内 寺池導水路 探検記①導水路の遡行 本当にあげ口にたどり着けるか

南海・千代田駅から西の緩やかな坂を登って行くと、寺ケ池(てらがいけ)に着く。地元ではこの池を寺池(てらいけ)と呼んでいる。筆者も地元の人たちが350年にわたり言い慣らわしてきた呼称「寺池」を尊重したい。
導水路この池は江戸時代、上原村の庄屋・中村與次兵衛が市村と小山田村の村境にあった寺池を拡張、寛文元年(1661)に竣工した灌漑用の溜池である。この池が構築されたことにより不毛の地であった現在の千代田地区は、米の生産量が100倍になったと言われている。しかしこの池に水を湛えるには、約14Kmに及ぶ導水路の構築が必要であった。
この寺池の導水路の取水口(あげ口)まで行ってみたいと思っていたが、なかなかその機会がなかった。
しかしついに導水路を遡ることができた。
寺池の南東角の導水路入口を出発。赤峰台地の東の森の中の静かな道を歩む。しばらく行くとトンネル工事の現場の上に立つ。
ここからの見晴らしは、すこぶる良い。
さらに進むと「水落(みぞおち)」に至る。ここは地名にもなっているように、水量調整と当地の分水の役割を担っていた所である。さらに進むと行き止まり。ここで旧・国道170号線に一旦降りる。
しかしここからの導水路が見えなくなる。全員で導水路を探す。やっと竹タブの中に見つける。
ここからさらに先に進むと、池坂墓地にたどり着く。導水路は地形に合わせて墓地を一週廻っている。昼食をここで取る。
何とかここまで来られた。ここが全行程の約半分ぐらいになるか。問題はこの先、どこまで行けるかである。なおもここから導水路を遡ると行き止まり。行き止まりは2度目である。ここでまた国道に降りる。
やっと外環脇に導水路を見つける。導水路は暗渠となって外環の下を渡っていた。
ここから導水路はまた森の中を走っている。
しっかりした道、危険な道、バランスが必要とされる道、草むらをかき分けての道、何でもある。でも何があっても良い。最後まで導水路を遡って行けたら。この当たり、そんなに山深い所を探索しているとは思えないが、とにかく半端じゃない森の奥深さを感じる。

導水路
やがて谷に水路が掛けられ所にでる。「水呑谷」と言うらしい。ここは導水路が山の斜面にへばり付くように迂回しながらウネウネと巡っているのではなく、谷に水路を渡し、一気に谷を跨いでいる。水路の上を歩く谷を渡るとトンネルがある。昔、掘られたトンネルのようである。今は使われていないようだ。岩盤をくり抜いている。大変なこと。先人の苦労が偲ばれる。やがて日野の観音寺の屋根が見えてくる。間もなく日野の集落に到達する。
夕方になってしまった。
探検は1月の初め。日が暮れるのが早い。本日はここまでにしてバスで長野に帰る。
これから有志による新年会を予定している。夜の部の体力も温存する必要がある。C委員会(試飲会)とその後の部活K(karaoke)のために。
次回はトンネルがたくさんあるようだ。この寒空の下、トンネルの中をじゃぶじゃぶと進むには季節がら厳しいものがある。次回はある程度の覚悟が必要か。(H24(’12)・1・8 探検)
横山 豊
導水路

 

奥河内 寺池導水路 探検記(その2)