奥河内 寺池導水路 探検記(その2)

導水路一週間後、日野から導水路の探検を開始する。
導水路はいきなり森の中を歩む。しばらく進むと絶壁の下に丹保井路のあげ口(取水口)を見る。
絶景!! 見晴らしが良過ぎる。導水路はこの絶壁を縫うようにして走っている。先人の努力に感服する。よくぞこのようにスゴイ場所に導水路を引いたものである。
危険と見えて導水路横に縄が張ってある。助かる。
ここはどのあたりか、地理勘が全くない。今どのあたりを歩いているのか皆目わからない。
導水路の横を歩いている時もあれば、導水路の真上を歩いている時もある。導水路が全く見えない時もある。土砂崩れで導水路が埋まってしまい、何処が導水路か全く判からない時もある。しかし森の中に道が続いているので間違いはないのだろう。森の中をなおも進む。
導水路やがてトンネルに出合う。水はこのトンネルの中から流れ出しているが、散策道はこのトンネルの横に付いていた、助かった。この寒空でトンネルの中を、しかも凍えそうな水の中を歩かなくて済む。トンネルの中からきれいな水が流れ出している。しばらく水を眺めている。よくぞこれだけの奥地に、これだけのトンネルを掘ったものと感心する。先人は偉い!!この一言に尽きる。
道を急ぐ。途中で道の横にトンネルが空いていた。トンネル掘削のための明り取りに開けたものであろうか、それともここから入って導水路の上流と下流それぞれに掘り進んだものか。中に入ってみると足元はヌカルミ。突き当りの左右に水が流れている。やはりここから両側に掘り進んだ時の名残のようである。 
さらに導水路を進む。道はだんだん厳しくなる。危険な個所がだんだん増えてきた。間もなくトンネルの切れ目に着く。トンネルとトンネルの間が少し広くなっている。両側のトンネルが見える。
そしてここから少し行くと、ついに憧れのあげ口に到達した。連合井堰のあげ口(取水口)である。
導水路広々とした川原の左側にあげ口がある。入口には大きな岩が乗せられている。流木などで取り入れ口が破損されないようにしているのであろう。谷はかなり深い。
我々が居る場所がどこかよく判らない。滝畑のダムの下の方だとは思うが、さっぱり判らない。どうも滝尻と日野の中間、旗倉山の山麓あたりにいるようである。
ここに「連合堰揚水口」の石碑が立っている。寺池からここまで3里18町(13.7Km)、あげ口の標高185m、水落165m、寺池135mと、ここから寺池まで標高差はわずかに50mしかない。水をゆったりと流すには、ここまで遡らないと取水口は設けられなかったのであろう。
足かけ13年、4万人にのぼる人々がこの導水路の構築に従事したと伝えられている。探検に二日掛かった。歩くだけで二日である。先人の努力にただただ感服!! 頭が下がる。
導水路
大いなる感動を胸に、帰りは丹保井路のあげ口の上、すこぶる見晴らしの良い所、絶景の中で、探検の成功に酔いながら昼食を取った。
帰りはこの先から道なき道を駆け上がりると、昔の茶花の里に出てきた。 
この導水路の「散策」は、最初は正に「探検」であった。まず終点のあげ口に到達出来るかであった。少し大袈裟であるが、アメリカに最初に到達したコロンブスもこのような心境であったのでは、と推察する。その後数回、導水路を遡ったが、いずれも一気にあげ口へ到達している。
最初は行けるかどうかの「探検」から、今では「散策」へと変わってきた。しかしこの導水路を終点のあげ口まで到達した人は、ほとんどいないのではないかと自負している。
この導水路がもっと整備され、誰でもが、何時でも容易に行けるように整備されると良い。あるいはあげ口から小型の舟に乗ってユラユラと寺池まで「導水路下り」をするのも一興かも知れない。
しかし何時までも、勇気ある者、好奇心旺盛な者だけが行く「あげ口」であっても良いのでは、とも思う。               (H24(’12)・1・16 探検)
                       
                                           横山 豊

奥河内 寺池導水路 探検記(その1)