奥河内 惣城の棚田を巡る 

惣代棚田南海・美加の台駅から国道371号線を渡り、急な坂を登ると曼荼羅山阿弥陀寺(まんだらさん あみだじ)、通称・石仏寺(いしぼとけでら)がある。
弘法大師・空海は、四国・讃岐の祖谷渓で瑞光のある石を見付け、阿弥陀如来像を刻み当寺に安置した。この石仏が当寺の本尊と伝えられているが、その様相はかなり珍奇である。
石仏寺のすぐそばの森のなかに弘法井戸を見る。この井戸は、かっては名水が湧き旅人の喉を潤していたと伝えられている。
ここから石仏小学校と加賀田中学校の間を抜け、北青葉台の分岐を過ぎると新池に至る。さらに道なりに進むと、惣代の棚田が眼前に広がっている。
惣代棚田棚田とは、急傾斜の山間部に階段状に広がる稲作地で、一般的には段々畑(だんだんばたけ)と言われている。
当地は周囲を250mほどの山に囲まれた盆地で、小さな集落の割には、棚田が多い。
なお当地は江戸時代、伊勢神戸藩の領地の一つだったとのことである。
棚田は、道の左に広がり、さらに右にもズーと広がっている。ここは惣代の北の棚田と西の棚田で、「惣代の棚田、ここにあり!!」と言えそうな所である。
少し進むと分岐に至るが、ここで道を左に採る。ここでも道の両側に棚田が広がる。一面の青々とした棚田が広がっている。よくぞこれだけの棚田を構築したものと先人の努力に頭が下がる。当地には12~13の溜池があり、これらの棚田の水源になっている。
惣代棚田我々は棚田を見る時、その素晴らしい景観に心を奪われるが、棚田を維持している水路にも、もっと心を注ぐべきである。どのような棚田でもそれを維持するための導水路が構築されているからこそ、棚田は美しいことを忘れてはならない。
当地から北を望むと手前が左近城跡、さらに奥が石仏城跡で、いずれも中世の城である。
山頂部に300坪ほどの削平地があるが、誰が構築したのか文献は残っていない。
元の分岐に戻りさらに歩を進めると、南青葉台への分岐があり、さらにここから少し登って行くと眺望が開け、見晴らしの良い所に着く。惣代棚田眼下にずーと棚田が広がり、心行くまで棚田を楽しむことができる。
ここからいったん棚田と別れ、森の中のセノ谷道を千早口の方へ下る。
しばらく森の中の散策を楽しんでいると国道371号線に合流する。ここから右に川の方に下って行くと、御所の辻をすぎ千早口の駅に着く。
国道をまっすぐ北に進むと左手に清水井戸を見る。さらに少し行き旧の高野街道に入るとすぐ左に二つめの清水井戸がある。
街道をなお進み、国道との合流地の少し手前から林道の馬ケ谷道を登って行く。やがて三叉路に着く。左の道を採ると先ほど下ったセノ谷道に合流する。
右の道を歩む。少し行くと左手に棚田が広がってくる。惣代の東の棚田である。その景観の素晴らしいこと、しばし見惚れ心が奪われる。
惣代棚田マップ
なお、河内長野市内では、天見の流谷でも棚田を楽しむことができる。
ここの棚田は、谷全体に、しかもかなり急斜面に構築されており、惣代の棚田とは一味違った景観を満喫できる。
                                 (H25(’13)・7・18 散策)   横山 豊