奥河内 石仏城 探検記(その1)

南海・美加の台駅から国道371号線を渡り、急な坂を登ると曼荼羅山阿弥陀寺(まんだらさん あみだじ)、通称・石仏寺(いしぼとけでら)がある。
弘法大師・空海は、讃岐の祖谷渓で見つけた瑞光石で阿弥陀如来像を刻み当寺に安置したが、この石仏が当寺の本尊と伝えられ、そのため当地は「石仏(いしぼとけ)」と呼ばれるようになった。
また石仏寺のすぐそばの森のなかに弘法井戸があるが、この井戸は、かっては名水が湧き旅人の喉を潤していたと伝えられている。
石仏城ここから石仏小学校と加賀田中学校の間を通り抜け、北青葉台の分岐を過ぎると新池に至る。さらに道なりに進むと、惣代(そしろ)の棚田が広がっている。
この新池の北東の地から右に棚田を見て山の中に入って行く。杉林の中の谷筋を登る。ジグザグしながら登っていくが、道は歩きやすい。ただ雨のあとだと、この道は水路に変わり、とても歩けたものではないと思われる。登り切った峠から、道はなお北の方に下っていくが、城址へは、右の山を登る。あまり歩いていないと見えて、道は悪い。登りきってさらに東へと進む。
本日の石仏城(いしぼとけじょう)の探検に11人参加しているが、かってこの城に登った者は2人しかいない。しかも数年前のことであり、また今回探検している道とは異なった道から登城したとのことであるので、全員、初めてと言っても過言ではない。
歩を進め、徐々に登っていくが、ササが生い茂り、かなりの悪路である。鎌がフル活躍している。
草むらの下の方を覗くと、道らしきものが走っている。
昔は、周辺の住民は燃料の薪を確保するため山に入ったが、現在、プロパンガスが各家庭に普及し、山に入ることもなくなっている。
そのため山道はかなり荒れ、廃道になっていった所も多いと推察される。
なおも登って行く。やがて少し平坦な所に出た。しかしここには、人工的に削平された形跡はなく、城跡ではないようである。さらに登って行く。鎌も要るが、足場を確保するための鍬が要りそうである。
さらに歩を進める。
今回の探検には、小学4年生の女の子もいて、この子に城跡への一番乗りをさせてあげようということになった。子供は元気でドンドン登って行く。
やがて城址らしき所にたどり着いた。

石仏城

主郭と思われる所やそれを取り巻く帯曲輪は存在しているが、曲輪Ⅱの北に張り出す三つの曲輪が確認できないし、南の帯曲輪も確認できない。さらに主郭の南の祭祀跡の石が見られない。
従って、ここはどうも石仏城跡ではないようである。ここは石仏山の頂上(標高285m)であるが、城は構築されていない。一旦、頂上から下り、さらに東の方向に進む。
やがて曲輪らしき所にきた。なお進むとかなり平坦な所に出た。どうもここが曲輪と呼ばれている所のようである。堀切状の前には、5~6m程度の小山(標高245m)がそそり、我々の行く手を阻む。
ここが主郭か。この堀切から北の帯曲輪を時計回りにまわって虎口(こぐち)らしきところから上に登る。主郭の上から周囲を確認すると、帯曲輪が主廓を取り囲んでいる。やはりここが石仏城跡に間違いないようである。
とうとう石仏城まで登ってきた。感動!! 感動!! 感動の連続である。 (H26・1・7 探検)

横山 豊

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