河内 烏帽子形城 探訪記(その1)

烏帽子形城探訪記1
南海・河内長野駅から西高野街道を歩む。旧西條橋を渡り、大日寺を通りさらに街道を進むとやがて烏帽子形八幡神社(えぼしがた はちまんじんじゃ)に至る。
石段を登る。
途中・右に恵比須(えびす)神社が祀られている。
ここの祭神は、大国主命(おおくにぬしの みこと)の子・事代主命(ことしろぬしの みこと)と三穂津媛命(みほつひめの みこと)と言われ、昭和30年(1955)島根の美保神社より分霊されたと伝えられている。祭礼は1月6日~7日とほかより少し早い。
さらにキツイ石段を登る。この石段、本殿前まででチョウド108段あり、数字的に興味深いものがある。
烏帽子形城探訪記1
当神社の本殿は、桁行(けたゆき)3間、梁間(はりま)2間の入母屋(いりもや)造り、檜皮葺(ひわだぶき)の建物で、その棟札(むなふだ)によると、文明12年(1480)に建立され、昭和25年(1950)、国指定の重要文化財に指定されている。
当神社の祭神は、足仲彦命(たらし なかつひこの みこと)すなわち仲哀(ちゅうあい)天皇と、その后・神功(じんぐう)皇后、そして二人の子・誉田別命(ほんだわけの みこと)すなわち応神天皇で、当神社は親子二世代が同居、さらに居候として八俣(やまた)の大蛇(おろち)を退治した素戔鳴命(すさのうの みこと)も祀られている。
烏帽子形城探訪記1
当神社の境内には、徳寿院蒿福寺(とくじゅいん こうふくじ)と言う天台宗の神宮寺が建っていたが、明治の神仏分離令により廃寺となってしまった。
当寺の梵鐘は、楠木正成(まさしげ)の子・正行(まさつら)が陣鐘として使ったので「小楠公陣鐘」と言われるが、その後正儀(まさのり)が当寺より持ち出し、現在、五條市の賀名生(あのう)に保存されている。
この鐘には「康永元年 河内國蒿福寺」と刻まれている。ちなみに康永(こうえい)元年は1342年にあたり、この梵鐘銘から推察すると、当地にはもともと蒿福寺なる寺院があり、それから138年後の文明12年に烏帽子形八幡神社が建立されたことになる。
あるいは神社はもっと古くから鎮座していたが、この文明12年に老朽化のため建て替えたとも言える。謎は解けないが・・・。

烏帽子形城探訪記1

当寺の井戸が境内の北西の隅に穿たれているが、ここは、烏帽子形城の水の手でもあったと推察される。(H25・12・11 探訪)   

横山 豊

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