奥河内 四神相応の地

四神相応(しじんそうおう)の地と呼ばれる所がある。その代表が京や江戸の町である。
四神相応の地とは、四神が住まうにふさわしく、地理的にもその景観が優れた所を言い、東に川(青龍)が流れ、西に大道(白虎)が走り、南に窪地(朱雀)があり、北に丘陵(玄武)が控えた土地である。
南朝の都・天野山金剛寺は、東に天野川が流れているが、和泉道は境内を貫き西にはない。さらに南には、今でこそ滝畑湖が存在するが当時はない。また北は平野が広がり、当寺は決して四神相応の地とは言えない。南朝が都するには条件に合わなかった。
では、観心寺は、どうか。ここでも川は南を流れ、大道もその流れに沿って走っている。同寺も都するには条件に合致しない。
それでは、南朝が都するに適した所は、河内長野市に存在したのであろうか。
まず東に川が流れ、西に街道(高野)が走っている所は、千代田地区と長野駅西側周辺。天野街道が走る所は、緑ヶ丘。また楠ヶ丘や南花台には、和泉道や巡礼道が走っている。しかしいずれの地にも、南に窪地はなく、北に丘陵も控えていない。
やはり河内長野市は、四神相応の地ではなさそうである。
それよりも「同市に都すること」自体を考えることが馬鹿げているのかも知れない。
河内長野市は「四神相応の地」ではなく「山紫水明の地」である。山は青く、水清らか、古い歴史に根差す豊かな文化と恵み溢れる地。これで充分。何を望もうか。

(横山 豊)《奥河内の閑適庵隠居》