奥河内 石仏城 探検記(その5)

石仏城5主郭をあとに、登って来た道を下る。
目印のテープが効いている。道に迷うこともない。しばらくルンルン気分で下るが、途中で目印が消え、道は何処?? と一瞬不安になるが、やがてまた道が見つかる。目印のテープが少なくなったので、節約したことが災いしたか。次回からは、多めに持ってくるべきだと肝に命じた。 
やがて石仏山と石仏城との鞍部まで下りてきた。
ここからまた、この石仏山を越えて惣代の新池まで下りて行かなければならないのか。
その時、左に一本の道を見付けた。シメタ!! これが惣代の棚田の方へ下って行く道か。
降り口の木に最後のテープを半周巻く。これでは何の目印にもならないと思いつつも、テープはこれしか残っていない。
石仏城5とりあえず、この道を降りていく。方向は正しいはず。棚田方向のはずだと期待が膨らむ。ドンドン下り、高度を下げていく。下に見えるのはどうも棚田のようである。
そしてついにトタンで構築された猪垣(ししがき)の前に出てきた。予想通り棚田に下りてきている。
高野街道の走る清水から惣代の新池に至る林道・馬ヶ谷道に合流したのである。
合流地点の倒木に「石仏城・登城口」と明記する。
この登城道は「惣代棚田・城跡道」と名付けようか。
現在、石仏城は登城不可能と思われているが、今後、この目印が、この城へ登っていく人たちの足掛かりになれば良いのだが・・・。仲間の一人が棚田を越えて、左近城へのルートを探しに行ったが、どうも無理のようである。引き返して来た。
我々は一旦、新池まで戻り、鳳凰の松が見える棚田で食事を採ることにする。

左近城は、前回もスイスイと登れたので、今回もあまり問題はないと考えている。T邸を左に見て山の中に入っていく。道はスコブル良い。やがて頂上にたどり着く。
ここで見知らぬ男性と出会う。聞く所によると、石仏城に登り、その後尾根伝いに林道・馬ヶ谷道に下り、それから左近城の南の尾根を登って来たとのことである。
我々は、北西の方向から登って来たのだが・・・。
城跡を後に、我々も南の尾根を降りる。笹がかなり生い茂っている。藪漕ぎをしながら下っていく。
やがて、鞍部に到着する。左は現在、檜が植林されっているが、綺麗に削平された所に檜が植わっているので、昔は棚田だったようである。木の大きさからみて20年ぐらい昔は棚田だったのか。
道を右に採り下っていくと、溜池がある。

石仏城・鳥瞰図

石仏城5

そこから森の中を歩むと、やがて、セノ谷道に合流した。坂を下ると千早口である。
登城の成功と、「鉄塔・城跡道」の再確認は勿論のこと、新ルート「惣代棚田・城跡道」の開拓もできたので、本日の探検の目的は十分達成できた。
その喜びに浸りながら足取りも軽ろやかに千早口へと下って行った。
次に来る時は、石仏城の主郭から尾根伝いに林道・馬ヶ谷道へ下りる道や直接、高野街道に下りる道、あるいは、馬ヶ谷道から左近城への登城道の探索等などを実施してみたいものである。(完)
(H26・2・4 探検)

横山 豊

奥河内 石仏城 探検記(その1)
奥河内 石仏城 探検記(その2)
奥河内 石仏城 探検記(その3)
奥河内 石仏城 探検記(その4)
奥河内 石仏城 探検記(その5)