奥河内 おらが郷土(まち)の有名人は、誰?  

河内長野市には、昔よりあらゆる階層の人々が住まいし、その名を留めた。
古くは、国博士にして、今は市民大学「くろまろ塾」にその名を残す高向玄理。僧侶では、岩湧山で修行した修験道の開祖・役行者や観心寺を開基した空海、そして金剛寺を中興した阿観上人や延命寺を開山した浄厳和尚と地蔵寺の連体和尚。

また武将では、河内の悪党といわれた南朝の忠臣・楠木正成とその兵法指南にして加賀田の住人・大江時親、増福寺に今も法名を残す畠山義深、さらに金剛寺を修復した豊臣秀頼や徳川綱吉、当市唯一の藩・西代藩主本多忠統。
そして金剛寺ゆかりの八条女院と同寺で6年間政務を行い、観心寺の陵に眠る後村上天皇等など。さらにまた、寺ヶ池を構築した中村與次兵衛と伝説の人・諸越長者など、当市にゆかりの人々は、実に多彩である。

その中でもおらが郷土の有名人NO.1は、いったい誰であろうか。
楠公さんと役行者、この二人はダントツの、しかも全国区の有名人であろう。全国区といえば、空海や後村上天皇も入るか。江戸で著名だった浄厳和尚は。あるいはまた兵法の世界で特に著名な時親がいる。しかし玄理になるとマニヤックな世界の人、そして八条女院や阿観あるいは蓮体や與次兵衛たちは、河内長野市の人たちにもあまり知られていないのでは、なかろうか。
ただ、秀頼や綱吉は例え全国区でも、おらが郷土に足跡を残していないし、住まいもしていないのでランキングから外すべきか。
さて、貴方が選ぶ「おらが郷土の有名人」は、誰ですか。

(杉岡清和)