金剛寺の屋根付きの橋!! 【河内長野 こんなオモロイとこ!!】
河内長野に屋根付きの橋がある。 屋根付き橋は、廊下橋とか、屋形橋、あるいは鞘橋(さやばし)とか蔀橋(しとみはし)、そして有蓋橋(ゆうがいばし)など、いろいろな言い方がされている。 木製の橋は、架橋し …
河内長野に屋根付きの橋がある。 屋根付き橋は、廊下橋とか、屋形橋、あるいは鞘橋(さやばし)とか蔀橋(しとみはし)、そして有蓋橋(ゆうがいばし)など、いろいろな言い方がされている。 木製の橋は、架橋し …
朱印の歴史は古く、日本で現存する最古の朱印は、江戸時代に福岡県志賀島で発見された金印「漢委奴國王」印である。 そして朱印は奈良時代まで使われていたが、平安時代になると“花押(かおう)”いわゆる墨のサ …
嘉永6年(1853)、暁鐘成(あかつきかねなり)が著した『西国三十三所名所圖會』巻之四に「三日市の駅」の記述がある。 右上田村に隣る。この地は京師(けいし)・浪花(ろうか)よりの高野街道に し …
石碑(せきひ)には、和歌や短歌の歌詞を刻んだものが多いが、童謡や唱歌の、あるいは歌謡曲の歌碑(かひ)もある。河内長野ではそのような歌碑はないし、俳句を詠んだ句碑(くひ)や詩碑(しひ)も建てられていな …
西高野街道は、堺の大小路から高野山女人堂まで58Kmに及ぶ信仰の道である。そしてこの道は平成元年と2年、日本遺産の構成文化財の一つとして認定された。 この道に13本の里程石(りていいし)・(里道標石 …
力石(ちからいし)は、“さし石”とか、“重軽石(おもかるいし)”、あるいは“力試し石”などと呼ばれ、“力試し”や“力比べ”に使われてきた。特に江戸期から明治時代までこの力石を用いた力比べの競技があり …
諸越橋(もろこしのはし) 河合寺村より長野村に架(わた)す。流れは右に いふ西條川にして、末は石川に会する所なり。 然(しか)れども 此地に いたりて 唐川(からかは)と号するゆゑに橋をもろこ …
女人高野、癒しの聖地をいかに体感するか。 一つは、構成文化財を個別に訪問し体感するもの。もう一つは、日本遺産ゆかりの道を歩き数ヶ所の聖地を体感するものである。 【日本遺産 ゆかりの道を歩き、癒しの聖 …
平成27年(2015)、文化庁は、地域の歴史的魅力や特徴を通じて日本の文化、伝統を語るストーリーを日本遺産(Japan Heritage)として認定した。 これは、地域に根ざし世代を超えて受け継がれ …
江戸時代“お蔭参り”というものがあった。 20年毎の遷宮(宮うつし)の翌年は、“お蔭年(おかげとし)”と言われ、この年はいつもの年よりもなお一層のご利益、恩恵、いわゆる“御蔭”が授かると考えられてい …