浜口梧陵(その5)『英国 ロンドンにて』 【関白のつぶやき】

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『仏陀の畑の落穂拾い』が出版されてから6年後の明治36年(1903)5月13日のことである。
浜口梧陵の末子・浜口坦(ゆたか)氏が、イギリスのケンブリッジ大学に留学していた時、ロンドンの日本協会(The Japan Society)に招かれて「日本史上における著名なる婦人 Some Striking Female Personalities in Japanese History」と題する講演をされた。
そして質疑応答もほぼ出尽くしたので、司会のアーサー・ディオシーが閉会を宣言しようとした時、聴講者の一人 ステラ・ラ・ロレッツ嬢から意外な質問が出された。
「私は今日のご講演に対し何等、質問や討議をする能力を持たないものでありますが、皆様がこの耳新しい日本の女性という問題につき感興しておられる間、私は今一つ、別の問題に捉われて胸一杯でありました。しかしそれは講演の議題の日本の女性とは直接関係がないため、皆様のご質問、ご討議の終わるのをお待ちしていました」浜口梧陵写真
そして今度は聴衆全員に向き直って、
「皆様はハーンの『仏陀の畑の落穂拾い』の冒頭に「生き神様」の美談があったことをご記憶だろうと思います。それは今から100年ほど前に紀州沿岸に大津波が襲来した時、身を以て村民を救ったという浜口五兵衛(Hamaguchi Gohei)の事績を物語ったものであります。
爾来、私は五兵衛の仁勇に推服すること多年、一日として五兵衛の名を忘れたことはありません。現に私の家に蔵している一幅のペン画の中に書かれた日本児童を小浜口と名付けて之を愛好している位であります」
彼女は、心にとめた世界的聖人の目録を作っていて、その中にはキリスト教徒も仏教徒もイスラム教徒もいる。そして彼女が信じている聖人とは“美しい徳を持っている人“であった。そうした聖人のうちで、浜口五兵衛は、彼女が最も称揚したい一人でもあったようである。
そしてロレッツ嬢はさらに語った。
「このように浜口の名に憧れているものですから、今日の講演者の浜口という名前に感興を催さずにはおられませんでした。講演者の浜口さんと私の崇拝している浜口五兵衛との間に何の関係もないのでしょうか。
是非、それを伺わせて下さい」と言いつつ席に着いた。
すると聴衆者の目は、期せずして壇上の講演者に集まった。
坦(ゆたか)氏は、思いもかけず、しかもイギリスという外国で自分の父親の事績が語られたので、感極まって、うなだれたまま一言も返事をすることができなかった。
止むを得ず、司会者が彼に近づいて事由を聞き、大きくうなずくと、
「講演者の浜口坦氏こそ、ハーンの物語の主人公・浜口五兵衛(Hamaguchi Gohei)のご子息で、お二人は父子なのです」と聴衆者に告げると、会場は騒然となり拍手と歓呼で百雷が轟いたようであったと伝えられている。
日本では、地元ではともかくとして、ほとんど知る人もいない浜口梧陵を英国人が知っていたことに担氏は大いに感動したと伝えられている。

ハーンが『生き神様』を著してからわずかに6年、浜口梧陵が行った人命救助済は、世界にその崇拝者が現れるほどの感動を与えていたのである。
献身的で崇高な行為、格調高い生き方、まさに“美しい徳をもっている”人物、これこそが浜口梧陵だったのである。
もしハーンが震災後の浜口梧陵の広村復興事業を知っていたら、『生き神様』もまた違ったストーリーになっていたかもしれない。そしてさらに多くの人々に感動と勇気を与えていたとも考えられる。
浜口梧陵、こんな日本人を知っていますか。

横山 豊(よこやま ゆたか)