銃社会・アメリカの野蛮さ!!  文明の遅れ(その1)!!    

またまたアメリカで銃の乱射事件が起こった。
そしてアメリカ大統領は「我々は団結し、これ以上悲劇が起こらないよう、意味のある行動を起こさなければならない」と声明を読み上げ、再発防止に取り組む必要性を訴えた。
しかし本当に銃の規制をしようとする者が「意味のある行動」と言うであろうか。本気で規制しようと考えているならば「銃は今後、規制していく」と言うべきである。
従って、この大統領の声明から銃を規制しようとする意志は全く読み取れない。
また、全米ライフル協会は「銃を持った悪者を止められるのは、銃を持った善人しかいない」と全ての学校に武装警察官の配置を訴えている。また、銃犯罪の起こる根底には、暴力的な映画などがあると、さらに「銃犯罪を防ぐには、銃規制は逆効果」とも主張し、銃規制に強く反対している。
そしてこのような声明から読み取れることは、「米国人全員が武装し、危険で暴力に溢れた米国社会を構築していこう」と主張しているように感じられる。
ここには「目には目で、歯には歯で」の世界がある。
3800年も前に謳われた見解がここに見られる。古代のバビロニアのハンムラビ法典の条文がここでは、まだ生きている。「銃には、銃で」の世界である。

米国は、人口約3億1500万人に対し、民間人が所持している銃は3億丁と言われている。この数字は米国民の一人が1丁ずつ銃を所持していることを示しており、世界が保有している銃の1/3を占める。また銃を所持する世帯の率も1/3と、先進国中では飛び抜けて高い。そのため銃による犠牲者の数は、日本の200倍以上もある。

銃規制が進まない背景に合州国憲法があると言われている。
『合衆国憲法・修正第2条』(1791年に追加制定された条項)には、「規律ある民兵は、自由な国家の安全保障にとって必要であるから、国民が武器を保持する権利を侵してはならない」と記されている。220年前に定められた条項である。開拓時代の考え方、先住民から土地を奪ってきた歴史がこの憲法には、今も生きているのである。
「武器を持って独立を勝ち取り、自分の身は自分で守る」という開拓者精神は、今も生きている。しかしこの開拓者精神こそが、21世紀に禍をもたらしている元凶でもある。
そしてこの考えを裏打ちするように、全米ライフル協会に代表される「集票力」「資金力」「組織力」を持つ圧力団体の存在がある。選挙でその影響力を持つ銃愛好者の組織がその規制を妨げている。
そしてアメリカの最大の欠点である「金(経済)のためなら正義も引っ込める」といった考え、主張が生きていることである。ライフル協会の影響力のため、あるいは支援を得るため銃規制という正義が引っ込んでいるのである。
ヨーロッパで食い外れた百姓や商人と奴隷が作った国・アメリカは、「正義よりも金を優先」する。
その考えがここでも生きているのである。

日本では、420年前の天正16年(1588)、秀吉が実施した「刀狩」により、全国規模の武器規制が行われ、民衆は武器を放棄させられた。
江戸時代に入ると、幕府も諸藩も「鉄砲改め」を行って鉄砲の所持を規制。基本的には、鉄砲の所持は、武士が独占、しかし猟師と百姓の「威し鉄砲」のみは許されていた。
そしてこの「刀狩」以降、民衆の生命や財産は、幕府や諸藩によって守られてきた。民衆は年貢と言う名の「税金」を支払い、武士という警察官を雇い、自らの生命と財産を守ってきたのである。
しかしアメリカでは、未だに国民が自ら武器を持ち、生命、財産を守っている。
何のために税金を払い、警官を雇っているのであろうか。アメリカ国民が「武装は国民の権利」や「国の成り立ちの相違」を言っても、やはり違和感を覚える。

歴史は嘘をつかない!!  
歴史は、古代の奴隷制から始まり、中世封建時代を経由して発展してきた。
しかしアメリカでは、150年前、やっと奴隷制を廃止して古代を終焉し、現在、中世封建時代に留まっている。いくら機械文明が進んでいても、国民の意識は未だに中世なのである。そのため、「武装し自らの身は、自らが守っている」。何のために税金を払い警察官を雇っているのか。理解できない。
日本では、「自らの身を自ら守る」時代は、戦国時代で終わっている。400年前には、自らの生命、財産を自らが守る時代は終わっていた。
国家あるいは、文明は、古代、中世、近世、近代と段階を踏まないと発展していかないのであろうか。
アメリカの銃社会を見ていると、「歴史は決して嘘を付かない」と感じる。そしてアメリカが日本のような近代的な文明国になるには、あと400年も時間が掛かるのであろか。

(福岡 正義)