奥河内・流谷の勧請縄掛け神事

南海・天見駅前の天見川と流谷川(ながれだにかわ)の合流地・出合の辻(であいのつじ)から流谷に入ると、視界が大きく開け、美しい渓谷が続く。この渓谷、昔は「そそぐ谷」と呼ばれていたようである。
毎年1月6日前後、流谷の八幡神社で勧請縄掛け(かんじょう なわかけ)神事が行われる。
京都の岩清水八幡宮から当地に祭神をお迎えした日が、長暦(ちょうれき)3年(1039)の1月6日と伝えられており、この神事は、この伝承に因んで行われ、当日は、神社の前を流れる流谷川を挟んで太く長い注連縄が架け渡される。
流谷八幡神社縄掛け神事 流谷八幡神社縄掛け神事 流谷八幡神社縄掛け神事
当日、氏子の総代12名は、一軒あたり2束(54タバ)ずつ新しいモチ藁(わら)を持ち寄り、共同で太い注連縄(しめなわ)と細い縄を12本綯(な)っていく。
注連縄の太さは7Cmもあり、またその長さは220尺(66.6m)ほど、重さ100Kgにもなるものが綯われる。なおモチ藁が使われるのは、藁に粘りがあるからだそうだ。
太い注連縄は勿論、川に架け渡すものであるが、細い縄は、月数を示しており、通常12本だが、閏年には13本なわれる。
神殿前で祝詞奏上や玉串の奉奠(ほうてん)などの神事が行われたあと、氏子だけでなく、我々一
般の参拝者も一緒になって橋の上に運び、縄は対岸の勧請杉を越えてさらに伸ばされる。その後、細い縄に結ばれた榊(さかき)と御幣(ごへい)は、樫の木によって注連縄に結び付けられる。
流谷八幡神社縄掛け神事注連縄の一方は、神社側の柿の古木に結わえられ、橋の上から徐々に縄で誘導されながら川の上に張られていく。そして注連縄のもう片一方は、神社の対岸の杉の大木・勧請杉(かんじょうすぎ)に四手(しで)・タデを外にして結び付けられる。
その後、橋の上で神主による祝詞の奏上と玉串の奉奠が行われ、無事、縄掛け神事は終了する。

勧請杉の対岸、神社側に、胴回り5.6mもある樟の巨木がある。この楠の木と勧請杉こそ川を挟んで対と考えられるが、柿の古木では、どうも釣りあいが取れない。従って、現在、注連縄は柿の古木に結び付けられているが、もっと古い時代には、境内の楠木に結び付けられていたと推察され、柿の木が使われるようになったのは、比較的新しいと考えられる。

流谷八幡神社縄掛け神事この神事には、無病息災と五穀豊穣の願いが込められているが、この注連縄が切れずに長い間残っていると、その年は豊作になると言われ、何時切れるかでその年の豊凶を占ってきたようである。
一般に、縄掛け神事は、村の境など地域の境界に注連縄を掛け、村に災いや疫病が入ってこないようにとの願いが籠められて掛けられたもので、「塞の神」と同じ目的を持った呪術的な習俗と考えられる。
この習俗は、「勧請掛け」と呼ばれるが、「綱掛け(つなかけ)」とか、「綱打ち(つなうち)」とか、あるいは「縄掛け(なわかけ)」などとも呼ばれている。
当河内長野では、小深地区にもこの習俗が残されているが、石見川や唐久谷では現在、注連縄は掛けられなくなっている。
このように伝統ある習俗が廃れていくことは、非常に残念なことで、ぜひ何時までも守り、残していって欲しいものである。
しかしながら、この神事の開催日時などは、市の広報に掲載されていないし、観光協会のブログのイベント情報にも採り上げられていない。にもかかわらず、市はこの勧請縄掛け神事を市の「指定無形民俗文化財」に指定している。不可解。(H26・1・5 散策)

横山 豊