蓮の寺・與通大師  盛松寺

蓮南海・千代田駅から寺池に向かって緩やかな坂を登り、四つ辻を右に採り、道をさらに北に進み、次に東に入ると、西高野街道と平野から走ってきた中高野街道との合流地に至る。
與通(よつ)大師・盛松寺(せいしょうじ)は、その近くにある。
空海が巡錫していた時、当地で厄病平癒の祈祷をされたが、その祈祷されていた場所より樟の木が生え、四本の幹をもつ大木に育った。この樟の大木は、霊木として崇められていたが、枯れてしまったので、この霊木で大師像を刻み、ご本尊として安置された。これが盛松寺の創建伝承である。
この寺の境内に100鉢もの蓮の鉢が見られる。そして今後、その鉢の数を倍に増やそうとされている。盛松寺は、正に蓮の寺なのである。
当寺には、弥生時代の地層から発見された種から2000年の時空を超えて発芽した「大賀ハス」が20鉢以上もあり、6月後半から7月中旬、その全盛を迎え、我々を楽しませてくれる。
蓮
蓮は、泥沼に美しい花を咲かせることから聖なる花、極楽浄土の花と考えられ、仏様の座る蓮華(れんげ)座など、仏教を象徴するイメージがある。
そして蓮の花は「花の君子(はののくんし)」と賞されている。
蓮の花床(かしょう・花托)には多くの穴があり、それが蜂の巣に似ていることから、蜂巣(はちす)といわれ、それが訛ってハスになったと言われている。
蓮の花は、夏の早朝、水面まで花茎を立てて花弁が開き、午後三時頃閉じる。この花弁の開花は三日続き、四日目に花弁が散ってその寿命を終える。
この蓮とよく似たものに睡蓮(スイレン)がある。
蓮も睡蓮も、花が咲いてから三日間、咲いたりしぼんだりするが、その閉じる様子を「花が睡眠する」、「睡眠する蓮」から「睡蓮」と呼ばれるようになった。
蓮の葉は、水を弾き、葉が立つ。さらに蓮の花は水面より上で咲くが、睡蓮は水面に咲く。
やはり蓮と睡蓮とは、微妙に違うようである。
蓮の花・蓮華・花蓮(はなばちす)は、仏像の台座・蓮華座を始めとして、仏教思想や仏教美術などにその影響を残してきた。特に仏教発祥の地・インドでは極楽浄土は蓮の花の形をしていると考えられおり、お釈迦様が生まれて初めて歩いた時、その足跡に咲いたのが蓮の花と伝えられている。
蓮そして仏や菩薩が、あるいは極楽往生した者が座る蓮の花の台座を蓮台(れんだい)とも、蓮の台(はすのうてな)とも優雅に表現されている。

しかし蓮には、高貴で可憐な花など、良い意味ばかりがあるわけでもない。
「蓮の葉商ひ(はすのは あきない)」などは、際物(きわもの)商売とか粗悪品の商いのことを言うし、「蓮の葉女(はすのは おんな)」とか、「蓮葉女(はすはめ)」あるいは「蓮っ葉女(はすっぱ おんな)」などは、軽はずみで生意気、しかも下品で、馴れ馴れしく浮気っぽい女性の態度や言葉使いを意味している。
蓮の葉が水面で波や風にユラユラと揺れ動くさまが、「軽率な言動をする女」や「浮気性の女」を連想させ、このような悪いイメージのたとえができたのであろうか。
なお蓮の花が咲く泥沼は、「この世」を表し、蓮の花は、「浄土」や「悟り」を指しているとも言われている。「蓮の葉女」も「蓮葉女」も、あるいは「蓮っ葉女」たちも今は、その泥沼に身を落として生きているが、いずれ水面の上に立ち上がり、悟りを開き、浄土に住まいして美しい花を咲かせることであろう。
河内長野市内で、蓮の花が楽しめるお寺は、延命寺や天野山金剛寺、あるいは興禅寺などがある。

西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)