奥河内 タンポポの咲く道 小山田

タンポポ「小山田」のバス停前の、船首のような台地を廻ると広々とした田畑が広がっている。
ここが小山田の「桃と梨の里」である。
桃の里は、平和で豊かな桃源郷(とうげんきょう)、俗界から離れた仙境と考えられ、古来より理想郷を意味していた。
一方、梨は、「無し」に通じ、忌嫌われるが、鬼門の方角に梨の木を植えて「鬼門無し」と縁起を担いでの積極的な思考もある。
従って、桃も梨も「魔除け」の意味がある、きわめて縁起の良い果物と言うことができる。
当地はもともと河内木綿の産地であったが、明治10年(1877)頃、小山田村に自生していた結実の良い梨の苗を植え付けたのが、当地での梨栽培の始まりである。
この桃と梨の花咲く田園地帯を歩くと、其処らじゅうでタンポポの花を見る。
時は春。どこからかベートーベンの交響曲「田園」の軽ろやかな調べが聞こえてくるような気がする。
タンポポ タンポポ タンポポ
タンポポは種子の冠毛(かんもう)が丸く集まる。その様子が、綿を丸めて布で包んだ「たんぽ」に似ていることから「たんぽ穂」と、それがさらに「タンポポ」に変化したと考えられている。
また、花茎を短く切り、両端を細かく裂くと、放射状に両端が反り返り、鼓のような形になることからタンポポは、江戸時代「鼓草(つづみくさ)」と呼ばれており、この鼓を打つ時の音「タン ポンポン」から「タンポポ」になったとも言われている。
あるいは、タンポポは、もともと「鼓」を意味する小児語で、それからタンポポになったという説もある。
英語では、葉のギザギザを荒々しい獅子の牙や歯に例え「ダン・デ・ライオン(dent de lion)」“ライオンの歯”と呼ばれているが、葉よりも花からの連想があればと思う。
タンポポタンポポの若葉はサラダになるし、花は天ぷらにして食べることができる。葉は煎じて飲むと漢方薬になる。あるいはタンポポコーヒーやタンポポ茶としても飲用されている。
もちろん子供たちは、タンポポの茎を笛として吹いたり、この綿毛(冠毛)を飛ばして遊ぶ。
最近、この花の茎に含まれる乳液から天然ゴムを採取し、タイヤの原料とすべく実用化を目指しているとも聞く。

タンポポの原産地は、日本とヨーロッパであるため、タンポポには、日本に古来から生育してきた在来種と近世に渡来してきた外来種があるが、外来種は、もともとで野菜として北海道に導入されたようである。
タンポポ在来種は開花期間が短く、茎の高さも低い。さらに種の数も少ないので、その生育場所は狭く、限定的である。
そのため在来種が外来種に取って変わったような気がするが、現実にはまだまだ在来種が頑張っているようである。
この在来種と外来種の見分け方は、総苞片(そうほうへん)が反り返っているのが外来種、反り返っていないのが在来種である。しかし最近は雑種の総苞も見かけるからヤヤコシイ!!
なお、小山田のタンポポは、4月5日頃、満開になり、我々の目を楽しませてくれる。小山田の桃と梨の里は、ゆるやかな棚田が広がり、自然が美しい所であるが、特に春には、桃と梨の花、さらにこのタンポポの花が楽しめる所である。
河内長野市内では、天野街道の下里地区や「奥河内の花樹と花園の道(廃線道)」でもタンポポが咲き誇っている。
ちなみに今年、日本タンポポの種だけを持ち帰り近所の公園に蒔いた。来年は美しいタンポポの絨緞が見られるのであろうか。

西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)