滝畑湖で天女の舞い!!タキハタリュウ??(奥河内滝畑 隠れた見どころ)【河内長野 こんなオモロイとこ!!】

滝畑湖のそばに不思議な景色が出現する。
この景色は、天上で舞う“天女”に、あるいは天上に登っていく
“竜”にも見える。そこで私は、この景色を滝畑の“天女の舞い”とか、“滝畑の羽衣”と呼びたいが、“登り龍”と言う人もいる。

 この不思議な景色を恐竜に見立てて名前を考えてみよう。遊び心をかき立てながら・・・。
 恐竜には、変わった名が付けられているが、意味が解ると何となく納得してしまう名前でもある。これがいわゆる「学名」と呼ばれるもので、その命名法は決まっている。
 まず名前を決めようとする人(命名者)が、発見した場所(産地)、発見者の名前(採集者)、恐竜の特徴などをもとに名付けるが、「種名」は「属名」と「種小名」で構成しなくてはならないようである。なお学名に使える言語は、古代のローマ帝国の言語であったラテン語か古代ギリシャ語と決められている。
 そこで過去に日本で命名された恐竜の学名を見てみると、
「フクイサウルス・テトリエンシス」・・・福井県の手取層群で見つかった恐竜。「コシサウルス・カツヤマ」・・・越の国(福井県の古称)の勝山で見つかった恐竜の意。あるいは面白いところでは、「ニッポノサウルス・サハリネンシス」・・・昭和9年(1934)、日本領サハリンで見つかった日本竜の意。

  このように日本では、学名に化石が見つかった地名が入っていることが多い。ち なみにサウルス(saurus)」は、ギリシャ語で「トカゲ」、またエンシス(ensis)は、場所を表す語である。
 では、このような規約に基づいて、この滝畑湖の「登り竜形」の景色に学名を付けると、「ナガノサウルス・タキハタエンシス」、そしてニックネームは当然のことながら「タキハタリュウ」であろうか。 
滝畑湖のそばの景色を恐竜に例えると、このように面白いネーミングが湧いてきてツイツイ、遊び心がくすぐられる。
 ところでこの“タキハタリュウ”は、春や秋には生息していることがよく判るが、五月頃になると、天上に上ってしまい、その抜け殻しか確認できない。しかし秋になるとまた戻ってきて我々を楽しませてくれる。

このように日本では、学名に化石が見つかった地名が入っていることが多い。ち なみにサウルス(saurus)」は、ギリシャ語で「トカゲ」、またエンシス(ensis)は、場所を表す語である。
 では、このような規約に基づいて、この滝畑湖の「登り竜形」の景色に学名を付けると、「ナガノサウルス・タキハタエンシス」、そしてニックネームは当然のことながら「タキハタリュウ」であろうか。 
滝畑湖のそばの景色を恐竜に例えると、このように面白いネーミングが湧いてきてツイツイ、遊び心がくすぐられる。
 ところでこの“タキハタリュウ”は、春や秋には生息していることがよく判るが、五月頃になると、天上に上ってしまい、その抜け殻しか確認できない。しかし秋になるとまた戻ってきて我々を楽しませてくれる。

 ところでこの“タキハタリュウ”は、春や秋には生息していることがよく判るが、五月頃になると、天上に上ってしまい、その抜け殻しか確認できない。しかし秋になるとまた戻ってきて我々を楽しませてくれる。

 しかし一方、この景色は、天上から天女が舞い降りてきた姿にも見える。
その昔、僧正遍照は美しい天女の舞をもう少し見ていたいと次の和歌を詠んだ。「天津風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ」(百人一首)天を吹く風よ、雲の中の天上と地上とを結ぶ通路を通って、天女たちが天上に帰ってしまうので、その通り路を吹き閉ざしておくれ。
乙女=天つ乙女=天女の美しい舞姿を、もうしばらく地上に留めて見ていたいので・・・。

 また謡曲「羽衣(はごろも)」では、人の良い漁師が、美しい衣(羽衣)を見つけるが、その衣がないと天に戻れいと悲しむ天女に心動かされ、衣を返す代わりに天女の舞を見せてもらうことにした。 
 天女は月世界の神秘と美しさを称えた舞を舞い、やがて富士の高嶺へ舞い上がり、霞の中へ消えていった。
 なんと優美な世界、そして心動かされる。特にこの漁師の無欲、やさしさが良い。漁師は羽衣を隠し天女に結婚を迫るわけでもなく、ただただ天女の舞いを望むだけ。何と気高く美しい行為なのか。何と美しい心の持ち主なのか。我々も幸せな気分になる。
ところでこの“羽衣伝説”は、世界各地にある。
 湖や浜辺などの水辺に白鳥が降りてきて、人間の女性の姿に戻って水浴びをしている。この天女の美しさに心を奪われた男は、天女を天上に返すまいとその衣装(羽衣)を隠してしまう。天に帰れなくなった天女は、やむを得ずこの男と結婚するが、やがて子供の言葉や歌によって羽衣のありかが解り天上に帰ってしまう。

 そして日本に天女が水浴びしたと伝わる湖があり、舞い降りた天女と地上の男性との婚姻による始祖伝説も生まれている。学問の神様・菅原道真は、余呉の湖(滋賀県)の天女の生んだ子と言い伝えらている。

 この天女は、羽衣伝説だけではない。琉球の切手には天女が舞っている姿がデザインされているし、河内長野では松林寺の梵鐘や真教寺の喚鐘にも天女が刻まれている。さらに真教寺では本堂の襖絵にも艶やかな天女が描かれている。

 滝畑の地には、羽衣伝説にピッタリの湖がある。
 湖のそばの景色を見ていると、この景 ” alt=””>色は、天上から天女が羽衣をたなびかせながらゆっくりゆっくりと舞いながら降り、そして地上近くで光輝く天空を艶やかな姿で舞っている姿に見える。
  この美しい景色をどう見るか。私はこの景色を“滝畑の天女の舞い”とか、“滝畑の羽衣”と呼んでいる。

(筆者注)
(上・左)天女の舞い(春・秋)
(上・右)天女の舞い(夏)
(中)上田・真教寺 本堂襖絵
(下)松ケ丘・松林寺 梵鐘
(最下)上田・真教寺 喚鐘

                   R2・5・26  横山 豊