河内長野の大沢峠 たった三歩で三府県踏破!!【河内長野 こんなオモロイとこ!!】

 かのポルトガルの探検家マゼランは、1519年8月、スペインのセビリアを出発、西周りで世界周航を達成し1522年の9月に帰国した。この時要した年数はまる3年である。しかし地球上で西に1Km、ほんの15分も行けば元の場所に戻ってこられる場所もある。
 そして河内長野では、たった三歩で三府県を踏破できる場所がある。左足が大阪府、右足を和歌山県、そして左足をまた奈良県に置く。そのような場所が本当にあるのか。三歩で三府県踏破できる場所が。それが大沢峠(行者杉)である。
 河内長野市は、東は奈良県五條市と千早赤阪村に、そして南は和歌山県の橋本市とかつらぎ町に、さらに西は大阪府の和泉市と堺市南区に挟まれ、また北は大阪狭山市と富田林市に接する三角形の町・トライアングルシティである。

 このような場所に位置するからこそ、河内長野市ではたった三歩で三府県に行けるし、三歩で三市を跨げるのである。
 ところで大沢峠(標高715m)は、石見川から吉野・大峯山への道と葛城二十八宿の修験者の道とが交差する所に位置する。そしてここは大阪府と奈良県、和歌山県との県境で、この峠を越えて奈良県五條市方面に下っていくと大沢寺があるが、この峠の呼称もこの寺に由来して名付けられたと考えられる。
 なお金剛山から大沢峠、紀見峠を越えて岩湧山、滝畑湖方面に至る道は、ダイアモンドトレールと呼ばれるが、筆者は、この道の歴史を尊重し“金剛・葛城修験者の道”と呼んでいる。

 この大沢峠には、樹齢数百年の老杉が五、六本あり、その杉の木に抱かれるように役行者が祀られた祠があり、ここは昔から修験者たちの祈りの場であり休憩場所でもあったと考えられる。
 そしてこの峠は、“行者”の祠と“杉”の大木があることから“行者杉”とも呼ばれ、毎年4月8日、石見川の人たちによって行者祭りがここで行われ今も大切に伝統が守られている。
 なお当地のように三つの国境が接する峠は、一般的に三国峠(みくに峠・さんごく峠)と称されることが多いが、この峠は大沢峠とか行者杉とか呼ばれ、三国峠と呼ばれていない。なぜなのであろうか。

 そしてまた三国山と呼ばれる山もある。
 この山は、旧国名の付いた三つの国に跨る山であることからこのように呼ばれるが。これは三国峠と同じである。
 大阪府の三国山(みくにやま)は、和歌山市加太から孝子峠を経て和泉葛城山、紀見峠に至る約50Kmの和泉山脈にあり、標高886m。河内国、和泉国、紀伊国の三国が交わるところに位置し、ここは河内長野市と和泉市、和歌山県伊都郡かつらぎ町の三市町が合流する地、境界にあるが、この山の三角点は、河内長野市と和泉市の境に設けられている。
 この山は、古くは“一乗ヶ岳(いちじょうけだけ)”と呼ばれ、稜線を旧道が走っているが、この道は西国三十三ヶ所の三番札所・粉河寺から四番札所の施福寺へと繋がる道で“檜原越(ひのはらご)え”と呼ばれる巡礼道である。
 さらに全国各地には、三国峠もあり、また“三国”が付いた地名も散見する。大阪府下では、堺市の三国ケ丘が有名であるが、同地は摂津の国と和泉の国、そして河内の国が合流する所、また大阪市淀川区には阪急電鉄の三国駅もあり、やはり“三国”が付けられている。

ところで世の中にはいろいろなマニアの方たちがおられ“県境マニア”なる人たちもおられるそうである。この大沢峠や三国山を観光客誘致に活用できないであろうか。あるいは“全国で三国峠・三国山会”なるものが結成されていないのであろうか。あればぜひ参加してこの三国山と大沢峠を観光資源に活用してもらいたいものである。

(筆者注)
(上)大沢峠・行者杉
(下)行者杉 祠の内部
                       R2・6・1 横山 豊