長野神社の榧の木、御幾つになられた ? 

榧の木 長野神社南海・河内長野駅前に長野神社が建つ。
この神社は江戸時代まで「木屋堂宮(こやどのみや)」とか「牛頭天王宮(ごずてんのうのみや)」と呼ばれていたが、明治になって「長野神社」と改称された。
牛頭天王は、牛頭人身の怪物・ミノタウロスと同じく、頭が牛で、体は人間の形。そのため、この「天王」は「天皇」と発音が同じであること、さらに「天皇」を「牛頭人身の天皇」と認識されることから明治政府によって排除命令が出された。
そして、この牛頭天王は、排除され、追放され、当神社では抹殺されてしまった。
我々の先祖が数百年にわたり崇め、祀ってきた神を明治になって排除し追放したのである。なんと罪深いことであろうか。
この牛頭天王、今頃はいずれの地を彷徨っておられるのか。
寒風の吹きすさぶ地を、あるいは猛暑の中、いずれの地にか、安住のお住まい・社を見付けられたのであろうか。気の毒なことである。
政教が分離されて久しい。もう一度、お戻り願うのも一つの考えかも知れない。
榧の木 長野神社
この神社に榧(かや)の木がある。
この榧の木は雌雄異株で、5月に花を付け、翌年の秋に雌株のみに実がなる。材質は淡黄色で緻密、そして芳香を放つ。また樹脂が多く光沢があるので、古くなるほど風合いが出てくる。また種子は食用になり、良質の食用油が採れ、漢方薬としても使われている。
そしてまた、弾力性や耐朽性があるので、仏像や碁盤あるいは、将棋盤などに用いられてきた。
なお枝は燻(いぶ)して「蚊除け」に使われたが、榧の語源は、この「蚊遣り」に起因すると言う説がある。
面白いところでは、この榧の実は、「勝栗・昆布・するめ・洗米・塩」の五品と共に、半紙に包み水引を架け、土俵の鎮(しず)め物、いわゆる神への供物として土俵の中央の穴(一辺5Cm・深さ30Cm)に埋められている。
榧の木 長野神社当神社の榧の木は、昭和47年、大阪府の天然記念物に指定された。
この木は雌株(めかぶ)で幹回り・約4m(直径1.2m)、高さ・約17mで、府内では最大級の大きさである。一般に、榧の木は、直径が1.1mほど成長するのに約300年掛かると言われている。従って、当神社の榧の木は、樹齢およそ350年ぐらいかと推察されるが、雌株のため「年齢不詳」とのことである。

なお、榧の木は、河内長野市内では、地蔵寺(清水)や岩湧寺、あるいは天野山金剛寺の求聞持堂前でも見られる。
また河南の名刹・河合寺の本尊・千手観音立像は、この榧の木で作られているとのことである。

西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)