紅ウツギ、奥河内の唐久谷を染める!!

紅ウツギ南海・千早口駅前から西に歩むと地蔵寺が建つ。さらに西に進むと地蔵谷のトンネルに至る。
昔、唐久谷に入るには、このトンネルの上のジルミ峠を越え、また唐久谷に住まいする人たちも同じ道を歩まないと高野街道には通じていなかった。
このトンネルを抜け、少し歩を進めると十字路に着く。
ここで神納(こうの)からの道と合流し、左に道を採ると唐久谷の集落に至る。
当地には平家の落人伝説があるが、京都に近く、しかもこのように谷の浅い所に、平家の落人が住まいしたとは考えられない。
京からの遠さでは、四国の祖谷渓(いやだに)や九州の五木村や五家荘(ごかのしょう)あるいは能登の輪島の比ではない。当地は京にあまりにも近く、また谷は余りにも浅い。仮に当地に逃れ隠れていても、源氏の放つ手によって簡単に討たれたであろう。
紅ウツギ平家の落人伝説は、ロマンがあって面白いが、やはり伝説は伝説。真実ではなさそうである。

この十字路を越え、さらに真っ直ぐに五分ばかり行くと左の土手に紅空木(ベニウツギ)の群落を見る。
空木(うつぎ)は、幹の中が空洞になっているため、元々「空ろ木(うつろぎ)」と呼ばれていたが、それが変化して「空木(うつぎ)」になったと。
また、この花は、旧暦の4月・卯月(うづき)頃に咲くので、「うづきの花」と呼ばれていたが、それが訛って「卯の花」になった、とも言われている。
さらにまた、花が咲くと木々に雪が降り積もったように見えるので「雪見草(ゆきみぐさ)」とも、あるいは田植えの時期に咲くので「田植え花(タウエバナ)」とか「早乙女花(サオトメバナ)」とか呼ばれる日本原産の花である。そのため空木は、古来より数多くの和歌に詠まれ、『万葉集』を初め、『枕草子』などにも登場する。

紅ウツギこの空木は、変異に冨み多くの品種がある。
紅空木(ベニウツギ)は、谷に生えることからタニウツギ(谷空木)とも呼ばれるが、この「紅ウツギ」と「卯の花」とは、厳密な意味では、科名、属名が異なり、別のモノである。
ところで、豆腐を作る時にできるオカラを卯の花と言うが、それは、卯の花の幹が空洞であることから「カラっぽ」、その「カラ」に「お」を付けて「おカラ」と丁寧に表現する言葉遊びが語源だと、あるいは、この花が散り積もった風情からこのように美しい名前が付けられたとも言われている。
なお、当唐久谷では、5月中旬ごろ、この紅ウツギの美しい花を楽しむことができる。
また大沢峠道では、紅ウツギは咲かないが、6月10日頃、真っ白な「卯の花」の群落が見られる。

西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)