奥河内 惣代に蒲の穂が揺れる!!

蒲の穂 蒲の穂奥河内には“隠れ里”が幾つかあるが、唐久谷(からくだに)や惣代(そしろ)は、まさにその代表であろう。
惣代は、東・南・西を山に囲まれ、北にわずかに開いている。かっては石仏の集落から山の中の細い道を辿ってこの河内長野の隠れ里に、あるいは高野街道が走る清水から峠を越えてこの里に入る道しかなかった。当地には、多くの棚田が広がり、そこにわずかの民家が点在している。
当地は、まさに奥河内の“シャングリ・ラ”である。
学生時代、理想郷に憧れトーマス=モアの『ユートピア』を、またイタリアの哲学者・カンパネラが描いた『太陽の都』を読んだが、ジェームス=ヒルトンの『失われた地平線』に登場するこの“シャングリ・ラ“が一番印象に残っている。
日本の戦争によって人類が築いてきた文明が破壊されそうなので、現代文明をチベットの奥地の理想郷”シャングリ・ラ“に秘蔵し、戦争が終ったら、またその隠された文明を平和になった世界に戻すような話であったと記憶する。
この「奥河内のシャングリ・ラ=惣代」に蒲(ガマ)の穂が揺れている。
蒲の穂蒲は、円柱状の穂をつけ、穂の下部は太くて赤褐色の雌花が、そして穂の上部は細く雄花が集まっている。しかしどちらにも花びらはない。この特徴的な花姿のため、我々はこの花の名を一度聞くと忘れない。
冬になると、この蒲の穂の雌花が熟し、綿状になり、その花穂の中から綿毛が飛散する。
これを“穂綿“と呼んでいる。
蒲団(ふとん)は、この穂綿を集めて布袋に入れて寝具にしたことに由来しているし、蒲鉾(かまぼこ)は、元々、蒲の穂に似た竹輪のような形をしていたから。そしてウナギを輪切りにして焼いた形が蒲の穂に似ていることから、蒲焼(かばやき)と呼ばれるようになったようで、いずれもその名に“蒲(がま)”が付いている。
そして、この穂を乾燥させると、蚊取り線香の代用になるらしいし、穂綿を火打石の発火物・火口(ほぐち)や燈心(とうしん)などに、また葉や茎は、蒲筵(がまむしろ)や簾(すだれ)、あるいは籠(かご)などの材料としても使われてきた。
ちなみに、蒲(ガマ)はトルコ語の「カスミ」「カムス」に由来する、あるいはアルタイ語の葦(アシ)を意味する「カマ」が、日本語でもそのまま「カマ」と呼ばれ、それが「ガマ」に変化したという説もあるが、詳細はよく判らない。

蒲の穂『古事記』によると、サメに毛をむしり取られた“因幡(いなば)の白兎”は、大国主命(おおくにぬし の みこと)から、蒲の穂に包まれば良いと教えられる。そしてこの神話は、唱歌「大黒様」にも採り上げられ「きれいな水に身を洗い、蒲の穂綿にくるまれと よくよく教えてやりました」とある。 
しかし子供の頃、母親が水盤に蒲の穂を生けているのを見て、蒲の穂がどうして薬になるのか不思議でならなかった。それから、もう少し大きくなった時、蒲の穂は、薬になると聞いて驚いた記憶がある。
蒲の穂に触れると、黄色い花粉が付くが、この花粉には、生薬の“蒲黄(ほおう)”が含まれ、止血剤として傷を治すとのことである。「大黒様」の歌から昔の人の知恵に感心した記憶が今も蘇ってくる。 
興味深いことは、キリストをユダヤの王として人々が嘲笑った時、笏として持たせたのがこの蒲の穂と、あるいはゴルゴダの丘へ向かうキリストをローマ兵が蒲の穂で打ったと伝え聞く。
“因幡の白兎”の神話では、薬草を使った治療について語られ、ここに日本医学の始まりを知る!! と書けば少し大袈裟になるか。あるいはまた、大国主命=大国様は、白兎に治療法を教えた日本最初の“医師”あるいは“医薬の祖”と見なしても良いのかもしれない。
一方、キリストは、この後、世界の思想や歴史を塗り替えていった。
単なる“蒲の穂”だが、“されど蒲の穂”である。
なお、惣代では、7月から9月頃までスーと伸びた蒲の穂を楽しむことができる。

西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)