奥河内・唐久谷の塞の神、今も家屋敷を守る!!(その2)【奥河内 神仏 見楽記】

塞の神お社一般的に、丸石の神は、次のように分類できる。
まず第一は、遺跡そのものが「塞の神」と呼ばれているもの。
この塞の神の御姿は丸石神そのもので、これには路傍で祀られているものと、屋敷神として祀られているものとがある。当唐久谷のU家の塞の神は、この屋敷神に分類できるであろう。
第二は、遺跡そのものに「塞の神」という呼称はないが、祭神として「丸石神」が祀られているもの。
これには単に「丸石の神のみが祀られているもの」と「丸石神と合祀」、例えば丸石神と地蔵尊、あるいは丸石神と役行者、そしてまた丸石神と地蔵尊、さらに役行者の三者が祀られていることもある。
第三は、「道祖神」と思われるものである。
塞の神お社例えば三角石と丸石の合祀、あるいは少し変わった形の石と丸石が同じ祠に祀られていることがある。この三角石は男性を、そして丸石は女性を表していると考えられ、これらは道祖神の一種と推察できる。 
さらに、これら全てに言えることであるが、丸石の神は、御堂やお社、あるいは祠など、何らかの「建屋の内」に祀られているものと全くの「屋外」に祀られているものとがある。

このように、この丸石神は、「塞の神」と呼ばれたり「道祖神」と呼ばれたり、あるいは一緒に祀られている地蔵の名を採って「○○地蔵」と呼ばれたりしている。
従って、祭祀の主体は、この丸石の神と考えられ、それが我々日本人が昔から神を祀る基本の姿だったと推察される。その後、仏教が伝来すると共に、丸石神が持つ塞の神としての役割が地蔵尊などに取って代わられてきたのであろう。
塞の神お社しかし仏教の影響を受けながらも、丸石神が破棄されず、なお丸石神と地蔵尊が同じ祠で祀られてきたのは、我が国固有の石の信仰が強かったからで、我々は何百年にもわたってこの「丸石神の信仰」を持ち続けてきたのである。  (H26・5・6 見楽)

楠菊亭梅光(なんぎくてい ばいこう)