藤の花房が揺れる 奥河内の烏帽子形山!!(その2)

腰神神社藤「色合ひよく、花房長く咲きたる藤」の花が登場する文学作品はまだまだある。
鎌倉時代、吉田兼好によって綴られた『徒然草』第19段には「折節(をりふし)のうつりかはるこそ、ものごとにあはれなれ」と、季節の移りかわるさまは、なにごとにつけて情緒深いものである。 
そのうちでも「もののあはれ」は秋がいちばん深く感じられると誰もが言うが、もっとうき立つものは春の様子だとして「山吹のきよげに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し」と山吹が美しく咲き、藤の花房がおぼろげなさまで垂れ下がっている風情などには、どれもこれも、捨てがたいほど情緒があると記述している。
また、第139段には、春から夏にかけての素晴らしい「草は、山吹、藤、杜若(カキツバタ)、撫子」だと、『枕草子』もビックリの好き嫌い論、良し悪し論を展開、藤と山吹が春を華麗に彩るものとして描いている。
腰神神社藤さらに謡曲の『雲林院(うんりんゐん)』では、「藤咲く松も紫の、藤咲く松も紫の 雲の林を訪ねん」と藤が松の枝にかかって咲くので松も紫に、藤が咲いて松も紫に染まり、あたかも極楽の紫雲のような紫野の雲林院を訪ねようと謡われている。
藤の花を雲に見立てた「紫の雲」は瑞兆で、それは、阿弥陀如来来迎の紫雲を暗示、また雲の林は雲林院を指している。
このように多くの文学作品に取り上げられてきたのが、この藤の花なのである。さらに『万葉集』を始めとし、和歌集などにも取り上げられてきた。
そして藤の花は藤原家ゆかりの花として、また家紋としても用いられてきた。ところで藤の花を上から見て蔓(つる)が右巻だとノダフジ、左巻だとヤマフジと言うそうであるが、ちなみに、この「ノダ」とは、大阪の野田からの命名とのことである。
腰神神社藤この花を撮ろうとしても藤の長い花房がいつも風に揺れ、シャッターチャンスがなかなか来ない。何度も失敗しながら、やっと一枚が撮れる。それまでは、ずーと花房と戯れながらその時を待っている。
花房を手に取って近づけてみると、ほのかな香りが漂う。そして静かに手を放す。花は何事も無かったかのようにまた風に揺れている。美しい藤の波を立てながら・・・。

河内長野の滝畑の光瀧寺の参道に幹周り1.2m、樹高30mに及ぶ市内最大の藤の木があったが、現在は枯死してしまった。
近隣では、富田林市嬉の腰神神社に大きな藤の木があり、5月初め、美しい藤の花が見られる。このように素晴らしい藤の花を見ると、河内長野市内の神社でも藤の木を植えて欲しいと願うのは筆者だけであろうか。なお河内長野市内では、松ヶ丘の松林寺でも藤の花が楽しめる。     
               

西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)