奥河内の岩湧寺 秋海棠に埋まる!!

神納(こうの)から清流沿いの緩やかな山道を行く。しばらく進むと大江時親邸跡に着く。
ここは楠木正成に兵法を伝授した大江時親の屋敷跡と伝えられている。
両側に山が迫る府道・加賀田片添線をなおも進むと、やがて行司河原分岐に至る。
左(東)に道を採ると流谷を越えて天見に至る。目指す岩湧寺へは右(西)の道を採る。
この加賀田川に沿った道はズーと森の中を走っていて、夏でも涼しい。さらに歩を進めると秋海棠(しゅうかいどう)がわずかに咲いている。秋海棠は日陰を好んで咲く花で、この谷間によく適している。
秋海棠は、江戸初期、園芸用として我が国に入ってきたと伝えられ、貝原益軒の『大和本草』には「寛永年中、中華より長崎に来るか。(中略)花の色、海棠に似たり。故に名付く」とある。
道は緩やかに登り、やがて岩湧寺に着く。
境内一杯、秋海棠、秋海棠。秋海棠一色である。足の踏み場もないと思われるぐらい秋海棠で埋め尽くされている。これだけ秋海棠が群落しているとはイササカ驚きである。
秋海棠は、夏から初秋に70Cm程に生長。8月下旬から9月末頃まで3Cm程度の淡紅色の花を下向きに咲かせ非常に美しい。花は淡紅色が多いが、白いものもある。いずれも中央は黄色く、葉の割に花は小さい。なお上向に咲くのが雄花、うつむき加減に下に垂れて咲くのが雌花と言われているが、真偽は知らない。
それにしても、これだけ秋海棠が咲いていると壮観であり、豪華でもある。そしてその量に圧倒される。まさに岩湧寺は秋海棠の寺である。
岩湧寺は、大宝年間、修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ)の開基。境内に本堂や多宝塔が建つ。
本堂は、江戸初期のもの、また多宝塔は室町時代の天文年間(1532~55)の建立と伝えられている。
そしてこの多宝塔の本尊・大日如来は、平安末期の作で重要文化財に指定されている。
なお、岩湧山は役行者が大和の大峯山山上ヶ嶽(おおみねさん さんじょうがだけ)へ修行の場を移すまでここで修行していた。そのため当岩湧山は「元山上」と呼ばれている。
一般に、仏さまは、蓮の花に囲まれて坐しているが、この岩湧寺の大日如来は、秋海棠に囲まれて坐しているようである。そして、この寺の境内に接して建つのが、岩湧の自然情報を発信している岩湧の森・四季彩館である。
秋海棠を満喫した後は、林道・加賀田滝畑線を辿り滝畑湖に下るのも良い。あるいは金剛・葛城行者道(現・ダイヤモンドトレール)に登って岩湧山の山頂を目指すのも良い。あるいはまた、行司河原分岐から林道・流谷線を辿り流谷八幡人神社を廻って天見駅に出るのも良い。
コースはお好みのままである。
なお、当寺の秋海棠は、8月中旬から9月中旬まで見事に咲き誇る。

西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)