『蘭亭硯』をご存じですか!

我が家に不思議な硯がある。この硯は義父の形見として筆者が戴いたモノである。
硯の大きさは、縦277mm、横幅175mm、厚さ79mm、重さ7・4Kgある緑色をした石で出来ている。上面の絵は親が子に何か語らっている様子を、周囲の絵は人々が集まっている様子が描かれている。裏面には漢文が彫られているが内容は全く理解できない。
蘭亭硯そこで数年前、文面を書き写し、知り合いの中国人に解読を依頼したが難しくて意味が分からないとのことであった。
その後、小生の母校の大学院に籍を置く中国人の留学生に解読をお願いすると、かなり古いことが書かれているとのことであった。
曰わく「1000年以上前のことが書かれている」が、1000年以上前に書かれたのか、近年になって1000年以上前のことを書いたのか分からないとのことであった。
結局、硯の裏面に書かれている漢文の内容は全く分からないままになっていた。
最近になって、某テレビ番組で「蘭亭硯」が出品され、しかも、出場者はその硯にかなり高額の自己評価をしていた。
この時最初の文面「永和九年」が、筆者が所持している硯の文面と同じであることに気が付き、実物を調べて見るとこれがどうも蘭亭硯(らんていけん)と呼ばれているものであることを知った。
従って、最近まで「蘭亭硯」と呼ばれる硯があることも、筆者が持っている硯が蘭亭硯と呼ばれるものであることすら知らなかった。

中国の東晋時代の永和九年(西暦353年)会稽山陰(かいけいさんいん)の蘭亭(らんてい)に41人の文人、名士が集まって曲水の宴が催された。その情景を書聖と仰がれる王義之(おうぎし)が『蘭亭叙』として書き残こしている。またこの故事から、後世の文人にとって蘭亭は理想郷とされ、その時の曲水の宴が彫り込まれた硯を蘭亭硯(らんていけん)と呼ばれるようになったようである。

因みに王義之『蘭亭叙(らんていじょ)』の書き出しをご披露しよう。
『永和(えいわ)九年 歳葵丑(とし、きちゅう)に在り。暮春(ぼしゅん)の初、会稽山陰(かいけいさんいん)の蘭亭(らんてい)に会す。禊事(けいじ)を修むるなり。群賢(ぐんけん)悉く至り、少長咸(みな)集ふ。此の地に崇山峻嶺(すうざんしゅんれい)、茂林修竹(もりんしゅうちく)有り。又清流激湍(げきたん)有りて、左右に映帯(えいたい)す。引いて以て流觴(りゅうしょう)の曲水(きょくすい)と為し、其の次に列坐す。糸竹(しちく)管弦の盛無しと雖も、一觴一詠(いつしょういちえい)、亦以て幽情を暢叙(ちょうじょ)するに足れり。(以下略)』

蘭亭硯

やっと意味が分かった筆者が、偉そうにしかも知ったかぶって要約すると次のようになる。
『永和九年(西暦353年)葵丑の年、三月は晩春の初め、我々は会稽山陰の蘭亭に参集した。禊(みそぎ)をとり行うためである。賢者がことごとく群れ集まり、また老いも若きも集まった。此の地はそそり立つ高い山と険しい峰、よく茂った林とすんなりと伸びた竹に恵まれている。清らかな流れには早瀬があり辺りにきらめいている。この流れを引き込み觴(さかずき)を流す曲水を設け、集まった者は順次座った。琴や笛の音は無いが、觴を一杯飲んでは一首の詩を詠う。この趣は深い自然の中にあって深奥の情を醸し出すに充分である。』

ただ残念なことは、筆者は字が上手くないということである。これだけ素晴らしい蘭亭硯を持っていても使えるだけの腕がない。残念としか言いようがない。
どうも「宝物は見て楽しむ」のが一番のようである。

(横山 豊)