新元号予想合戦(その1)これが良い!! 皆が選ぶ!!

“安”の付く元号では、安久、安永、栄安、安始、安栄、安明、永安、正安、安成、安泰、安寧など。
“平”の付く元号では、平和、和平、太平、幸平など。
“和”の付く元号では、永和、平和、和平、和永など。
“永”の付く元号では、永和、和永、共永など。
“明”の付く元号では、光明(こうめい)があるが、それ以外では未来、自由、新生、大成、希望などもある。

これらが国民が選ぶ新元号“案”であるが、“安永(江戸後期)”や“永和(南北朝期)”は、過去に使われているので、元号選定基準からは外れる。

ところで新元号を検討するにあたり、国民が選ぶ一字は、“安”、“平”、“和”、“明”、“成”、“生”、“大”、“新”、“元”なのであるが、安心や安全、あるいは平和に関係する“安”や“平”、“和”、“明”などの好字が選ばれている。そしてこれが国民が元号に託する“願い”でもある。

現在まで元号で使われた文字は、504文字。
そして同じ文字が組み合わされて何度も使われているが、その組み合わせに使われた文字は、わずか72文字しかない。

ここでそれらの文字の使用回数をみてみると、
29回:永、 27回:元、天、 21回:治、 20回:応、
19回:正、長、文、和、 17回:安、16回:延、暦、
15回:寛、徳、保、14回:承、 13回:仁、
ここまでが、元号に使われてきた上位17文字である。
さらに12回:嘉平、 10回:康、宝、 9回:久、建、 8回:慶、享、貞、弘、7回:明、禄、 6回:大、 5回:亀、 4回:寿、万、 3回:化、観、喜、神、政、中、養、 2回:雲、護。
そして1回のみ使われた文字は、乾、感、吉、享、興、景、衛、至、国、斉、字、未、授、勝、昌、昭、祥、祚、泰、禎、同、銅、白、武、福、霊、老、鳥、雉がある。
このように過去に使われた文字が多いのは、永和、寛永、嘉永など“永”が29回、次に保元、元禄など“元”と天保、天明など“天”がそれぞれ27回ある。しかし今回国民が選ぶ文字には“天”や“元”が入っておらず、どちらも人気がない文字ようである。

元号には面白いものがたくさんある。
使用期間の最も短い元号は、“暦仁(りゃくにん・りゃくじん)”といい、鎌倉中期の1238年~39年までの2か月と14日のみ使われた。これは「暦仁=略人」で、この世から人々が略される(死んでしまう)と連想され語呂が悪いと嫌がられたようである。
しかしながら元号には、もともと“読み方”まで公表されず、大正まで元号の読み方が発表されることはなかったようである。
逆に最も長い元号は、“昭和”で1926年12月25日~1989年1月7日まで62年と13日続いた。これは明治以降の“一世一元の制”によるものと考えられ、この法がなければ敗戦の年に“平和”とか“和平”に、あるいは戦争が終わり今後は身の危険がないことから“安久”とかに改元されていた可能性もある。
なお室町中期の“応永”は35年、平安期の“延暦”が25年が続き、どちらも長い元号である。ところで“昭和”は、初出の“昭”と19回も使われてきた“和”が組み合わせた元号である。
一方、その使用期間が長いのではなく、漢字4字も使われた長い元号は、奈良時代のみで“神護景雲”“天平感宝”“天平勝宝”“天平神雲”“天平宝字”の5例がある。
最も多く改元した天皇は、後醍醐で、自らの力を見せつけるために21年間で8回も改元している。このように愚かな天皇では、国民はたまったものではなく、災いそのものであったと推察する
ところで縁起担ぎの元号には、飛鳥時代のことであるが飢饉の時、縁起の良い雲が沸き上がったので“大宝”から“慶雲”(704年)に改元したものもある。
同じく縁起担ぎの元号であるが、“明和9年”は、“迷惑年”と発音されるため、明和9年(1772)に現在も国民に人気のある“安永”に改元されている。
また面白い元号では、飛鳥・奈良時代に和銅(わどう)という元号がある。これは武蔵国秩父郡から和同が献上されたことを祝って付けられた鉱物産出記念元号である。

さらにまた、縁起の良い生き物の名が付いた元号には、室町後期の元亀(げんき)、奈良時代の神亀(じんき)、宝亀(ほうき)、霊亀(れいき)、室町後期の文亀(ぶんき)など“亀”の付くものがあるが、鳥では唯一飛鳥時代の白雉(はくち)があるのみである。
これは長門国から白い雉が献上されたことは瑞祥であるとして改元されたものである。なお河内長野の鳩原(はとのはら)からも文武3年(699)に白い鳩が献上されたが、1年間の租税免除だけで改元までには至っていない。
ちなみに“鶴亀”と縁起の良い例えとされる“鶴”ではなく、“雉(きじ)”の元号が使われている。これは日本の国鳥が“雉”であるからか・・・。

次に改元の年や日であるが、元日に改元されたものには、奈良時代の“天応”(781~2)の一度だけである。しかし改元は辛酉(しんゆう)や甲子の年などにもしばしば行われている。

そして改元で面白いものには、源頼朝が安徳天皇と平家政権による元号“治承”、“養和”、“寿永”への改元を認めず“治承”を使い続けたが、朝廷が東国の支配権を頼朝に公認すると“寿永”を使い出している。

奥河内の閑適庵隠居 横山 豊
平成31(2019)・3・17投稿)

(筆者注)
天野山金剛寺(河内長野市)擬宝珠