河内長野の力石、持てれば大人、でもどうなる??【河内長野 こんなオモロイとこ!!】

 力石(ちからいし)は、“さし石”とか、“重軽石(おもかるいし)”、あるいは“力試し石”などと呼ばれ、“力試し”や“力比べ”に使われてきた。特に江戸期から明治時代までこの力石を用いた力比べの競技があり、力石は、民衆の娯楽の一つであった。
 なおこの石試しは、我が国だけでなくスペイン・フランスに跨るバスク地方でも、このような風習があるようである。

 寺社などにある特別な石を持ち上げ、持ち上れば願いが叶う、上がらなければ叶わない、あるいは重く感じる、軽く感じるなど、その軽重によって吉凶や願い事の成就などの神意を伺ったが、このような石は、“重軽石”と呼ばれている。
 住吉大社の“おもかる石”や高野山奥の院の“弥勒石”がこのような石であるが、四天王寺の“おもかる地蔵”などもこれと起源を同じくするものと考えられる。
 力石の起源をこの石占(いしうら)からとする説があり、この占いから力試しなどの娯楽に発展してきたと考えられている。
 力石には、持ち上げた人の名前や年月、あるいは重さなどが刻まれたもの、いわゆる刻印されたものがある。そして興味深いことは、亀石や龍宮石、あるいは大判石や金剛石など石銘が付いたものや鶴亀石、雲龍石など縁起を担いだ石、そして石の重さが八斗石や二俵石、また石の形から玉子石や大黒石、だるま石、あるいは石の色などから赤石、青石、黒石など。そしてまた設置場所から○○寺などと刻まれている。

力石の存在が確認されるのは、室町末期の16世紀に“弁慶石”が描かれた屏風があり、また慶長8年(1603)長崎で刊行された『日葡辞書(にっぽじしょ)』には、この力石の記述が見られるので、この頃にはすでに世間で広く見られる習俗の一つだったと考えられる。
 石は、川原などで見つけてきた表面が滑らかな楕円形や卵形の自然石が多く、複数個あるが重さはすべてバラバラ。20貫~30貫の石が多いが、これは米俵1俵の重さ16貫(3.75Kg×16貫=60Kg)を基準に考えていたからと思われ、米俵1俵が力石の最低重量だったと考えられる。ちなみに力石がこれより軽ければ力自慢をする意味が無くなるが・・・。

 石をどこまで持ち上げるか。例えば腰までや胸まで、あるいは肩までなど様々で、また単に持ち上げるだけでなく担いで歩く。しかし相当重い石は、石を引き起こせば良いとか、地面から少し浮き上がらせれば良いなど、その土地、その土地でいろいろなルールで力試しが行われていたようである。
 ところで力試しは、競技でもあった。力自慢をし、その競技に花が咲いた。力自慢は、娯楽の一つでもあった。あるいは通過儀礼として行われていた地区では、決められた石を持ち上げると一人前の大人とみなされた。このように力石は、通過儀礼であり、体力増強であり、さらに娯楽としての要素があった。

 現代の機械文明は、人間の“持つ力”を必要としなくなった。重いモノを持って人間が運ぶ時代は終焉しているように思われる。しかしホンの数十年前、我々は苦労して物資を運搬していたが、それはまた過酷な労働でもあった。頼るものは自らの肉体しかなかった。そのため自らの体を鍛えてきた。また自らの成長を周囲の人たちに誇示することも行われた。それが“力石”であった。
 農村では米俵を、そして山仕事をしている人たちは材木を、そしてまた漁村では網を、さらに商家でも樽や商品などを運ばなければならなかった。
 仕事=運搬の時代、体力を維持することは、労働を続けていくための必要条件であった。なお力自慢をする道具は、それぞれの職業によっていろいろなものがあったと考えられるが、その代表が力石であった。

 力石の置き場所は、神社や寺院、集会所、村境などで、要は石試しをするために若者が集まりやすい所であった。しかし20世紀前半には、力試しの風習は廃れてしまい、さらに石そのものもどこかに散逸してしまった所も多いが、逆にその喪失を恐れて神社に奉納し、境内で安置されているところもある。
 そしてまた市町村の文化財の指定を受けていなくても、力石に看板や説明文を掲げて大切に保存されている所もある。現在、力石は全国で約14000個ほど残されているようであるが、実態はその数倍は存在していると考えられる。
 河内長野市は、国宝を初め全国でも十数番目に多くの文化財を有している。しかし力石など多くの文化財は、未だ市の指定にもなっていない。このままでは近い将来、集落ごとに存在していたこれらの力石もその存在すら忘れ去られてしまうのではないだろうか。
 民衆の間に存在した文化財をいかに保存していくか、そして将来、この力石が失われた習俗とならないようにするために、どのような対策を打つのか、今から考えておくべきことではないだろうか。

(筆者注)
(上)片添の力石
(中・左)おもかる石(住吉大社)
(中・右)おもかる地蔵(四天王寺)
(下・左)流谷 月輪寺跡の力石
(下・右)滝畑の力石
                      R2・7・5  横山 豊